ヴァージルアブローとは一体、何なのか。

ヴァ―ジルアブローという人は一体何なのか。
ご存知の方も多いでしょうがヴァ―ジルはヴィトンに就任する前、ティッシが退任してデザイナーが空席になるGIVENCHYに逆オファーを出していました。しかし答えはなしのつぶて。
そこからのヴィトン就任はまさに逆転ホームランというにふさわしい出来事でした。その後のGIVENCHYとヴィトンの行く末を見てみると、ヴィトンはこの賭けに勝ったといえるでしょう。
ただ実際のヴァ―ジルのクリエーションはどこまでいっても平面的で、ストリートのあるいはエディターの壁を打ち破ることができていません。西洋の衣服に憧れつつも消化しきれないその様子は、カニエウエストがvivaアメリカ的な振り切り方をしたのとは非常に対極的です。そしてその様は好事家から非難の対象になっています。
では、ヴァ―ジルが才能のないディレクターなのかというと答えはノーです。
そもそも昨今ファッションを離れた領域でもデザインは平面的でミニマルなものに傾倒していました。ウェブなどでもフラットデザイン(平面的なアイコン等)という言葉が使われ、これはまさに携帯の絵文字に慣れ親しんだ世代への親和性から発生したと考えられています。
これはウェルメイドなデザインというよりは、非デザインな持ち味を有しています。ヴァ―ジルがoffwhiteやその前進pyrexで見せたプリントもまさに、意味を伴わない記号、数字でした。それは、非デザイン的な物にデザインないしはブランドを見出す作業であったと言えます。
ヴァ―ジルが常にインスパイ源としてきたバレンシアガのデムナヴァザリアが、自らのブランドに「衣類(vetements)」と名付け、右の靴に「right」、左の靴に「left」とプリントしたのもまさに非デザイン的なものがデザインになりうることを証明した瞬間でした。
結局のところヴァ―ジルは平面的で単調なプリントであるからこそ、時代の寵児となりえたわけで、そういう意味では実は彼もカニエ同様非常にアメリカ的なクリエイションをしていると言えるでしょう。彼が中途半端に西洋のコンテクストに造詣が深かったら逆に彼は成功しなかったでしょうし。
かつてK1で(失礼・・)無敵だったボブサップが格闘技をおぼえ瞬間に、その奥深さに恐れをなし激弱になってしまったように、西洋の衣類の奥深さを目の当たりにしたヴァ―ジルが非力化していかないことを望みます。
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